其の二

戸谷 満智子(とたに まちこ)さん

人様に胸を張って紹介できる、
それが福新樓です。

裕福で厳格な家庭に育ち、多感な時期を中国に暮らしたことが、料理の道に進むきっかけにもなったという戸谷満智子先生。戦時中?敗戦後の動乱期に女子アナの走りとして才能を開花させ、引揚後も料理番組を中心に活躍。戸谷調理師学校等の運営と共に東奔西走の日々を続けてきた。その小さなお身体からは想像もつかないほどパワフルでアグレッシブ。「かわいいおばあちゃんになんか、なりたくない」のお言葉が印象的。

戸谷調理師専修学校 校長
戸谷 満智子さん

福新樓との関わり、その始まりは中洲時代にさかのぼります。戦時中は強制疎開させられた福新樓が東中洲に甦ったのは昭和23年、本格的な中国料理専門店として東中洲千日前に再開したのが昭和26年と記されていますから、おそらくその頃からのおつき合いです。一人でよく中華丼を食べに行きました。

現社長・張光陽氏のお祖父様にあたる二代目社長の兆順氏は福岡県下の料理学校で講師を務めたり、テレビの料理番組に出演されたりして、創業者・加枝氏と共に中国料理を福岡に広められた先駆者です。あわせて私の中では故・谷口昌介料理長の存在が忘れられません。

福新樓の谷口料理長とは私が福岡家政学院の講師をしている時に面識を得ました。以降その豊富な知識と心の広いお人柄に、何度も頭の下がる想いでした。各種勉強会でも谷口氏がいらっしゃるだけで、その場が引き締まったものです。私共の学校でも講師として教鞭をとっていただきました。お亡くなりになる少し前に頂戴したお手紙には「私が料理学校の講師を務めさせていただいたのは、行き始めも最後も戸谷でした」とありました。その間約三十五年、谷口料理長とは香港への満漢全席、台湾、ヨーロッパ、スペインなど、海外での食べ歩きもご一緒しました。

また、戸谷調理師学校の新入生に向けた中国料理の試食会は例年、福新樓で開催しています。何故なら食材選びから調理、配膳、もてなしに至るまで、いっさい誤魔化しのない正統派の料理で迎えてくださるからです。また、勉強になるようにとのお心遣いから、料理に使った食材は原形のまま陳列し、見せてくださいます。中には入手が困難な食材まで、未来の料理人たちのためにご用意くださるお気遣いも。福新樓は私の味覚と知識を育んでくださった店であり、生徒を育ててもらっている学び舎でもあります。

身体にいい食材を、もっとも効果的に調理し、大勢で卓を囲み、温かい料理を和気あいあいといただく。料理のみならず飾り付けに至るまで、皿に盛り付けられたすべてが口にできる。合理的な中国料理の真髄ですね。福新樓では、その広い清潔な店内の隅々にまで、経営者と従業員の心が一つになって、私たちを迎えてくださっているのがわかります。

「温にして し、威あって猛からず、恭にして安し」、孔子の弟子たちが師の人柄を称えて云った言葉です。創業者・加枝氏が残した技と精神、生き方が代々の経営者に引き継がれ正しく発展されたからこそ、100年という輝かしい節目を迎えられたのでしょう。益々の御繁栄をお祈りします。

2004.7.23
福新樓にて

戸谷 満智子(とたに まちこ)さん

戸谷調理師専修学校 校長
戸谷 満智子(とたに まちこ)さん

PROFILE/
門司に生まれ、十五歳より家族と共に中国山東省に移住。
中国の済南日本高等女学院を卒業。
学校法人 椿原学園 戸谷調理師専修学校 校長、戸谷料理学院 院長、全国料理学校協会 副会長、全九州料理学校協会 会長、全国料理技術検定協会特別師範、ユニセフ九州本部 理事、ソロプチミスト博多 初代会長。
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌等のマスコミでも多方面に活躍。
戸谷調理師専修学校/福岡市南区大橋三丁目二番十号。