其の四

中牟田 喜一郎(なかむた きいちろう)

「家族会」はいつも福新楼で。
中牟田家の夏の風物詩だったんです。

2004年3月、グランドオープンした『天神岩田屋・新本店』の賑わい が記憶に新しい。岩田屋の前身である 呉服商『紅屋』の創業は1754年(宝歴四年・創業者中牟田藤吉氏)に 端を発する。以降、中牟田一族によりおよそ250年もの間、商業の牽引役として岩田屋は福博の街に輝きを放ってきた。昔も今も、?幼少期より福新楼に何 度も足を運んでいただいている岩田屋特別顧問・中牟田喜一郎氏を訪ねた。

岩田屋 特別顧問中牟田 喜一郎さん

私は甘党で、好物はお肉でした。そのせいか、福新楼の味付けは私の味覚と相性ヨシ。幼少の頃から事あるごとに福新楼にお世話になりました。おふくろに連 れられ福新楼で食事をしたことも懐かしく思い出されます。と言っても、 天神に今の福新楼ができたのは昭和四十三年(1968年)だそうですから、おふくろと行ったのは中洲の宝塚会館の近くにあった福新楼です。ハイカラな喫茶 店「サニー」の角から入った路地の奥に、大きな店構えの店でした。私の慣れ親しんだ中国料理の原風景は、福新楼です。

父の代から、自宅にお客さまをお招きする際は福新楼に出張料理をお願いしました。大きな中華鍋と白いコック帽が印象的で、あれは確か二代目の兆順氏でし たね。「一般家庭の火力で中華鍋を振ってもおいしくならない」と、プロパンガスまでリヤカーに乗せて来られ、ご馳走をふんだんにつくってくださった。テレ ビにも登場し、活躍されている料理人が我が家の台所に立ってくださる姿は嬉しくもあり、誇らしく感じていました。「鯉のあんかけ」が出ると、もうそろそろ 締めの料理だなと腹具合を算段したものです。中国料理における魚料理は余してもいい料理だと教えていただいたのも福新楼の方からです。

ショウケイホウコウズ 自宅では接待料理でお世話になり、店に出向くのは家族や親族一同が集まるとき。毎年八月にお決まりの「家族会」では、遠方から訪れ た親戚の者まで一緒にゴルフを楽しみ、福新楼で食事をして解散というパターンが常でした。新年会や中牟田家の親族会「枝誠会」でも福新楼に集まりました。

冬は火鍋子、芋のアメ炊き、胡麻団子、皿うどん……、想い出の料理をあげたら切りがありません。妻はナタデココが世に出る前から、福新楼に出向くと欠かせ ないナタデココ ファンだったし、杏仁豆腐も福新楼で覚えた中華デザートです。そう言えば「焼鶏」は福新楼での発明だそうですね。

昔はビール、後に紹興酒、近年は日本酒。中国料理と共にいただくお酒の種類も年齢や嗜好に合わせて変わってきたように、好きなメニューも転じてきました。昨今のお気に入りは何と言っても「五目そば」。具だくさんな上に、野菜がふんだんに摂れて助かっています。

充実した楽しい時間が、福新楼にはいっぱい詰っています。来年は私も九十歳になります。福新楼の100周年には、共に歩んできた同士として感慨深いものがあります。これからも末永く栄えていってください。応援しています。

2004.8.19
中牟田邸にて

中牟田 喜一郎(なかむた きいちろう)

岩田屋 特別顧問
中牟田 喜一郎(なかむた きいちろう)さん

PROFILE/
915年福岡市に生まれる。神戸大学卒業後、1936年に開店した『株式会社 岩田屋』に、31歳で入社。以降、2002年に引退するまで、福岡の百貨店の草分けである『岩田屋』を通じ様々な功績を残す。現在は岩田屋の特別顧問として温かく見守る日々を送っている。
日本テニス協会 名誉会長、福岡県体育協会 名誉会長、茶道裏千家今日庵老分。

岩田屋/福岡市中央区天神2-5-35