2016.09.07豆腐の話(折々の切楽板記より抜粋)

 今回からしばらくの間、当店の以前の料理長、谷口昌介が書いた「折々の切楽板記」より話を抜粋し、御紹介しようと思います。

 尚、谷口自身が「私自身浅学であり、多くの先人の書の世話になりました。舌足らずのところがありますが何卒ご容赦下さい」と申しております。

 掲載にあたり、担当が学んだこととあわせ、原文に若干の加筆、修正を加えておりますが、足りないところがありましたら御容赦ください。

■豆腐 ―栄養価の高い加工食品の最高傑作―

 「世の中は、まめで四角でやわらかで、老若に憎まれもせず」

と隠元禅師が絶賛した豆腐は、いまから二千年ほど前、漢の淮南王劉安の創製によるものであり、わが国へは奈良時代、遣唐使や僧侶がもたらした記録が残っています。

 当時、寺院の多い奈良の地が発祥とされました。

 豆腐は肉を食べてはいけない僧侶たちにとって、貴重な蛋白源でした。そこから、貴族社会、次第に庶民へと広まり、江戸時代天明二年(一七八二)に豆腐の料理書『豆腐百珍』が出版され、翌年には『続百珍』が世に出ました。いかに当時人気があったかが伺われます。

 豆腐は味の淡泊さに加え値段も安く、栄養があるのも手伝って、この人気が生まれたのだろうと推測されます。

 豆腐は、畑の肉といわれる大豆が原料なだけに、栄養価も高く、胃腸の悪い人、糖尿、心臓病、動脈硬化、血圧を正常に保ち、肥満の予防も期待できます。

 また、栄養素の面からみると、美肌に特に関係の深い蛋白質をもち、美しい肌を保つ上でかかせないビタミンB1やB2、Eも多く含んでいます。

 現在では、豆腐は普段の食卓にしばしば登場し、すっかり私たちの生活にとけこんで、取り立てるほどの食品ではありませんが、あらためて考えると意外と話題が多く、食べる楽しみが湧いてくる食材かと思います。

 実は、わが国に豆腐が入った経緯は、前述の遣唐僧が寺料理として作ったもの以外にもいくつかあり、

 琉球王朝時代、王が代わるたびに中国皇帝の「蠒」を冊封使からうけ、その使者の接待は中国料理で行うため、包丁人を中国に派遣し、料理を学ばせていました。彼らが豆腐製法を覚え帰国した、と言うもの。

 文禄慶長の役の時、太閣秀吉が朝鮮出兵の折、四国の土佐藩主、長曽我部元親が朝鮮から捕虜をつれ帰り、秋月と名乗らせ豆腐作りをさせたというもの。

 また、朝鮮に出兵した兵糧奉行を務めていた岡部治部右衛門が、豆腐の製造法を覚え帰国、そこで豆腐のことを「おかべ」また「じぶ豆腐」と名づけたなどの俗説があります。
この、おかべとは、豆腐の表面が白壁に似ているところから「かべ」と出たものを、女房詞で丁寧に御をつけ呼ぶようになりました、この名づけ親は本居宜長だと言われています。

 ところで、世の中には大別して木綿豆腐と絹ごし豆腐がありますが、この違いは御存知でしょうか?

 木綿豆腐は、切り口が木綿のようにざらざらしていることや、その表面の様子から名付けられ、絹ごし豆腐は、絹のようにソフトな感じであるからというのが名前の由来です。実は、ふたつの豆腐の出来るまでの過程には原料にさほど大差はなく、水分量の調整が大きな差異です。もちろん、製造者ごとに調整の仕方などに差異があり、製品の違いを生み出しています。

 最後に、今では辞書からも消えてしまったことわざですが、

「豆腐と浮世は、やわらかでなければゆかず

豆腐と芸者は、かたくては売れぬ」

と昔の人は言ったそうです。皆様、豆腐の様に柔らかく生きましょう。

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