普度勝会 ―長崎・崇福寺の人間味あふれる中国盆―

■普度勝会 ―長崎・崇福寺の人間味あふれる中国盆―

 異郷に生きる華僑は、自分の知力と体力を頼りに生活しているが、彼らを支えているのは信仰心である。彼らの血に脈打つ敬神崇祖の伝統が、同郷の人との結びを固めている。

 中国人の中でも、特に福建人は信仰心が厚く、その表れが中国盆(普度勝会)に見られる。毎年秋に行われる中国盆は、長崎の崇福寺、神戸の関帝廟、京都宇治の万福寺だけである。崇福寺には慣行として例年お参りしている。稀な中国盆を紹介しよう。

 長崎に秋を告げる中国盆は、九月(旧暦のお盆)、長崎市鍛冶屋町の崇福寺で盛大に行われる。
 黄檗宗聖寿山崇福寺は、寛永六年(1629)、唐僧超然によって建立され、開祖いらい福建人の菩提寺として総ての法事を行なってきた。

物思えば魚板の音もうら悲し 海西法窟の春の夕暮れ  吉井 勇

 媽祖堂は、寛文十一年(1671)に完工した。前面の石畳は記録によると、長崎最古のつくりである。堂の廊下にある中国風の卍くずしの勾欄(手すり)も独特なものである。唐寺に媽祖を祭ってあるのは崇福寺だけである。

 媽祖は、唐船の船首に祀られ、航海安全の守護神であると共に、キリスト教禁止の鎖国日本に上陸する時、「仏教徒である」証として媽祖を奉持し、唐寺に安置したのである。媽祖は女神で精巧な女体につくられているため、衣装の着せ替えは選ばれた婦人が担当することになっている。

 中国盆の時は、媽祖堂前の広場に供物をのせる甘露台が設けられ、精進料理が並ぶ。供物は、総て飯碗に昆布だしで茹でた素麺を敷き、その上に冬瓜、木耳、椎茸、里芋、人参、筍、麩、揚げ豆腐、凍豆腐、金針菜、ご飯、ナツメ入りスープ、中華菓子二種、計十四種が一組として用意される。

 別に初盆のところは、小皿に紅寒天をおき、寄進者の名を書いた赤い三角の小旗を立てておく。数にして二百以上はあるだろう。これらの供物は毎日新しく調理して参拝者の食膳に供される。

 長崎の残暑は厳しく、境内の石畳は熱気をおびている。そんな中でも線香を手に次々と手を合わせてゆく参拝者が絶えない。三日目の昼から精進あけとなり、甘露台は一変して多彩な山海の珍味が並ぶ。台の前部には大きな香炉と燭台、その後方に大、小さまざまな仏像が配され、豪華な供物の膳が並ぶ。

 先ず豚の頭(一頭では大きすぎるので頭と尾を飾り、一頭を捧げた意を示す)を大皿におき、まわりを生花で飾る。次が鶏の太公望、家鴨の萬歳爺、どちらも椎茸の笠を被り、真綿のヒゲをつけ、金時豆の目をつけ、太公望には釣り竿をもたせ、萬歳爺には紅白の錫杖を握らせ、大鉢の中に立てて周囲を花で飾る。なかなかの出来栄えである。

 豚の胃袋は器管の一部を象の鼻にして小象を作る。小さな豆の目、大きな耳、まるまる肥った胴体、いずれもユーモラスで見ていてとても愉しい。

 鯛の唐揚げ、鶏の丸むし、伊勢海老、車海老、芝海老、揚巻、なまこ、ふかひれ、赤く染めた茹卵、山盛りの饅頭、梨、桃、リンゴ、ブドウ、ザクロ、柿、ミカン、レモン、西瓜、茶、酒、切り花など百数十皿が並ぶ。

 なかでも珍奇なのは女性の精霊のためであろうか、香水、口紅、頬紅、乳液、ローションなどの化粧品と裁縫セット、物差し、扇子、櫛、ハンカチが祭壇に並び人目をひいていた。精進あけの飾り付けは、華僑ばかりでなく、長崎市民や観光参拝者を楽しませてくれる。崇福寺の行事は、長崎の華僑が輪番制で一切を担当するが、伝統的な飾り付けや手工技術の継承者が少なく、やがて失われてゆくのではないかと懸念されている。

 中国盆の特色に、祖霊を迎える時に、現世と同じように安息してもらうため、憩いの場所が設けられている。護法堂前にミニチュアだが精緻な家屋が飾られる。芝居小屋、娯楽室、沐浴室、男室、女室の五亭である。

 また、大雄宝殿の廊下に三十六間堂と称し、三十六枚のパネルにいろいろな店を絵にして展示してある。これは祭事中に帰った霊魂が、この世の人と同じようにショッピングを楽しむことが出来るようにとの思いやりからである。

 普度勝会のハイライトは、三日目の夜に行われる施餓供養と金山、銀山の焼却である。金山、銀山は家とお金を意味し、浄土で祖先が安泰に暮らせるようにと心遣いで、送り火と共にあの世への送金となる。

 夜も更け、定刻になると大雄宝殿まえの高座から僧侶の読経が一斉に唱えられ、法要が始まる。古色な銅の鼎から清らかな煙と香りがたちこめる中で沢山の饅頭が配られ、爆竹を合図に境内中央に積まれた金山、銀山に火がつけられる。紙と木でできている飾り物は、瞬時に火柱となる。凄まじい爆竹の音、音を立てて燃え上がる火の粉、壮観な火の祭典である。火がおち、読経の声も消え、境内はもとの静寂にかえる。所々のローソクの灯が静かにゆらめいていた。

 あくる四日目の朝、会食が終わると一人二人と名残惜しげに帰途につく。特に老人は、来年を期待しながらも、一抹の不安を抱きながら去る姿に哀れさを感じさせられる。これで総ての行事が終わったわけではない。普度勝会にきた祖霊は五体完全な仏に限られ、期間に間に合わなかった盲人や跛行者の霊に対し、改めて祭事を行うのである。あちこちに見られる線香は霊を迎える道案内である。

 中国盆には必ずこの「遅刻行事」が行われ、盲人や跛行者の霊にまで温かい心遣いをする人間味あふれる中国人の思考に感じさせられるものがある。


<原文ママ>
出展:折々の切楽板記(著者 福新楼 谷口昌介)より